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真田信繁(幸村)とわかやま

大河ドラマ「真田丸」

なぜ真田と和歌山?

真田庵真田信繁(幸村)は信州の武将として知られていますが、実は和歌山県の九度山生涯で一番長い年月を過ごしたのです。

真田信繁(幸村)は信州の武将でしたが、動乱の世のなか、西軍に味方した真田昌幸と信繁(幸村)は、関ヶ原の戦いで西軍が敗れたことにより、一命を許されたものの高野山に蟄居を命ぜられました。

それから生涯で一番長い14年もの年月を過ごしたのが、高野山の麓・九度山。
その長い蟄居生活のなか、昌幸は波乱の生涯を閉じてしまいました。

いざ、決戦の地へ

蟄居から14年後、信繁(幸村)は、豊臣氏を滅ぼさんとする徳川家康を迎え討つため、豊臣方に請われて大阪城へ向かいました。

それからは「戦国時代の赤き名将」として有名な真田信繁(幸村)の戦い振りはさまざまな伝説や物語で後の世に語り伝えられています。

大坂冬の陣では、「真田丸」を築き、徳川方に大打撃を与えました。
翌年の大坂夏の陣では、何倍もの兵力を持つ徳川軍と互角以上に渡り合いましたが、外堀を埋められて守りもままならず、幸村は決死の覚悟で徳川の軍勢に討ちかかりました。
その勢いはあわや本陣に迫るかという凄まじさで、さすがの家康も覚悟したと伝えられています。
しかし家康の本陣を目前とした茶臼山附近での激戦の末、幸村は壮烈な最期を遂げました。

和歌山県では、2016年大河ドラマ「真田丸」の放送を契機に、紀北地域を中心にキャペーンやイベントが開催されます。
伝説の武将、真田幸村が生涯でいちばん長く過ごした和歌山県へぜひいらして下さい!

真田ゆかりの地・九度山町

九度山駅昌幸と信繁(幸村)父子が蟄居した地・九度山は真田赤揃え一色!
蟄居した屋敷跡には「真田庵」と呼ばれる寺院があり、3月13日には「九度山・真田ミュージアム」がオープンします。
九度山を経て高野山に向かう南海電鉄高野線では、「真田赤備え列車」を運行し、南海九度山駅も真田赤備えに。玄関口である難波駅の大階段にも、勇壮な真田赤備えをイメージした装飾が施されています。

真田幸村と戦国わかやま

徳川家霊台和歌山は尾張・水戸と並ぶ御三家・紀州徳川家の地。和歌山市中心部には、名城・和歌山城がそびえる。第5代の紀州藩主・吉宗は、のちに八代将軍となりました。和歌山の和歌浦にある紀州徳川家ゆかりの「紀州東照宮」も見どころの一つ。
また高野山には、徳川家康・秀忠親子の霊を祀る霊屋「徳川家霊台」、奥の院には、織田信長をはじめ、豊臣秀吉、石田三成、武田信玄・勝頼、上杉謙信・景勝など、戦国武将の墓碑・供養塔が敵味方の区別なく点在しています。
戦国の世には屈指の鉄砲軍団を擁した雑賀衆、根來衆や粉河衆といった自衛の兵と寺領を持つ社寺など、ゆかりの地を巡るのもおすすめです。